南山大学の歴史History

南山大学は、
神言修道会を母体とし、
中部地方で初の
外国語専門学校として
1946年に誕生しました。

南山大学開学への歩み

南山中学校(旧制)の設置
1932年

南山中学校(旧制)の
設置

南山学園の母体は神言修道会であり、その起源は、1932年に誕生した南山中学校(旧制)にさかのぼります。早くから布教とともに教育の重要性をとなえた神言修道会の意志を受け、名古屋教区長のヨゼフ・ライネルス神父は、資金確保のために欧米を巡歴するなどの苦労を重ねた末、教区長就任から6年目に南山中学校を設置するに至りました。木立に囲まれた丘の上に立つ明るい鉄筋コンクリートの校舎は近代的な魅力にあふれ、当時の人々の関心を大いに集めたと伝えられています。

南山外国語専門学校の設置
1946年

南山外国語専門学校の
設置

第二次世界大戦の苦難の時代を経て、終戦直後の昭和1946年には、南山外国語専門学校が設置されました。当時、中部地方には同種の外国語専門学校はなく、また人々は外国語や外国文化への関心を高めていたこともあり、設置後間もなく多くの学生を集めるようになりました。この南山外国語専門学校がのち、名古屋外国語専門学校に改称され、南山大学へと発展していくことになります。

南山大学の誕生

南山大学の開学と総合大学への構想
1949年

南山大学の開学と
総合大学への構想

1949年、名古屋外国語専門学校を前身として、南山大学が開学しました。開学当時は、文学部英文・仏文・独文・中国文の1学部4学科からなる大学であり、定員は100名でした。しかし、初代学長に就任したアロイジオ・パッへ神父は大学構想段階からすでに、理想は外国語大学ではなく、アカデミズムを重視した総合大学であることを掲げており、順次、学部・学科の増設をはかることを計画していました。そして1952年には、第2の学部として社会科学部(社会学科、人類学科)の増設を実現しました。

人間の尊厳のために
1952年

Hominis Dignitati
(人間の尊厳のために)

1952年、南山学園は創立20周年を迎え、この年に大学の教育モットーとして、「Hominis Dignitati(人間の尊厳のために)」が採択されました。これは現在に至るまで、学園全体の建学の精神を示す言葉として大切に受け継がれ、学生や卒業生、教職員の心に息づいています。

飛躍する南山大学

山里町の新キャンパスへ
1964年

山里町の新キャンパスへ

1964年、南山大学は五軒家町(現在の南山高等・中学校所在地)のキャンパスから、山里町(現在の大学所在地)のキャンパスへと移転しました。著名な外国人建築家であるアントニン・レーモンドよって設計されたキャンパスは、丘陵地の起伏と自然を最大限に生かし、また美観と安全を考えて電線をすべて地下に設置するなど、実に先進的なものでした。丘を貫く一本のメインストリートに沿って効率的に校舎群を配置した設計は、50年以上を経た今もその面影を十分に伝えています。

学部・学科を整備し、総合大学へ
1960年

学部・学科を整備し、
総合大学へ

新キャンパスへの移転は、本格的な総合大学化を見越したものでもありました。1960年には社会科学部社会学科を母体として経済学部(経済学科)を、1968年には実業界からの期待を受けて経営学部(経営学科)を設置するなど、学部・学科の整備は着々と進められました。開学当時、1学部4学科だった南山大学は、約20年後の1970年代には4学部11学科へと大きな発展をとげました。

教育・研究の拡充

研究拠点としての南山大学
1949-2021年

研究拠点としての
南山大学

教育の場であるとともに、すぐれた研究の場であることは、南山大学が開学当初から描いていた理想のひとつでした。この理想を実現すべく、1949年に早くも、人類学民族学研究所(のちの人類学研究所)が誕生したのを皮切りに、次々と研究所・研究センターを設置していきました。

国際教育への深化と
情報化社会への対応

国際教育の進化と深化
1974年

国際教育の進化と深化

カトリック神言修道会を母体とし、外国語専門学校を前身とする南山大学は、開学当初より国際教育を核とし、その発展をはかり続けて きました。1974年に設置された日本研究センター(外国人留学生別科)は、こうした国際教育のひとつの象徴といえるものでしょう。 これは外国人学生をキャンパスに迎え、1年間にわたって日本語と日本文化を教授するものです。設置直後よりアメリカをはじめとした 諸外国の大学・研究機関から積極的な関心が寄せられ、南山大学の名を世界に示すことにもつながりました。

法人合併による新たなる出発

法人合併による新たな出発
1995年

法人合併による
新たな出発

1995年、南山学園は名古屋聖霊学園と合併し、将来に向けて新たなスタートを切りました。昨今の厳しい教育環境のもとでカトリック教育を守り、発展させていくために、建学の精神を共有する2つの学園が合併を実現したことは、今後の高等教育機関のあり方を示すモデルケースとして、大きな注目を集めました。

瀬戸キャンパスの設置と新学部
2000年

瀬戸キャンパスの
設置と新学部

法人合併を契機に、瀬戸キャンパスの開設計画に取り組み、2000年、同キャンパスに総合政策学部と数理情報学部を設置しました。また同時に名古屋キャンパスの文学部と外国語学部の大幅な改組改編にも着手し、同年、新たな人文学部と外国語学部へと生まれ変わりました。これにより、南山大学は文系・理系の7学部を擁する学際的な総合大学として、新たな段階へ進むことになりました。

総合教育の完成を目指して

南山短期大学の名称変更とキャンパス移転
2011年

南山短期大学の
名称変更とキャンパス移転

2011年4月、南山短期大学が南山大学短期大学部に名称を変更し、名古屋キャンパスに移転しました。またこれにあわせてR棟が建設されました。R棟には、これまで名古屋キャンパスに散在していた英語教育センター、ワールドプラザ、国際教育センターといった施設が集約され、国際交流の新たな拠点が誕生することになりました。

キャンパス統合と新学部設置
2017年

キャンパス統合と
新学部設置

2007年に立案された南山大学グランドデザインに基づき、2015年に瀬戸キャンパスにあった理工学部と理工学研究科(大学院)を名古屋キャンパスへ移転し、これに合わせてS棟を建設しました。2017年には新たに国際教養学部を設置し、さらに瀬戸キャンパスにあった総合政策学部と社会科学研究科総合政策学専攻(大学院)を名古屋キャンパスへ移転し、全学部・全学科を名古屋キャンパスへ統合しました。また総合政策学部の移転および国際教養学部の設置に合わせてQ棟を建設し、情報センターおよび国際センターも設立しました。すべての教育資源を一つの場所に集約することで、他学部・他学科間での交流を活性化し、学生・教員同士がお互いの違いを認め合い、協力しながら高め合っていける環境を創出しています。

〜現在

変わるもの、
変わらないもの

変わるもの、変わらないもの 変わるもの、変わらないもの

こうして南山大学の歴史を概観してくると、大きな変化や改革の連続だったことに改めて驚かされます。そして同時に、「キリスト教的」「学究的」「国際的」といった伝統が継承されていることに大きな感銘を覚えます。1952年に制定された教育モットーが今も大切に受け継がれていることも、こうした伝統を重視する姿勢のひとつのあらわれといえるでしょう。いつの時代にも変わることのない崇高な理念を掲げ、同時に常に時代を先取る新しい大学であり続けること。 南山大学はこれからも、南山大学であり続けるために、着実な一歩一歩を歩み続けます。

写真:南山アーカイブズ所蔵